鴇浅葱色の書架

某動画共有サイトと大手アイドル事務所のオタクをしています

岡田准一に沼落ちした話

 

どうも、ねるです。KinKiとV6のオタクを兼ねています。

 

岡田准一もといV6に沼落ちして1年ほど経過しました。いい機会だと思ったので、なんとなく沼落ちした経緯を残しておこうと筆をとった次第です。

 

経緯を振り返る前に、沼落ち前のV6の認識度合いについて確認。

ちなみにテレビはあまり見ない部類に分けられ、ジャニーズを見るのはカウコンと2014までの嵐とKinKiがでる歌番組、バラエティーVS嵐くらいでした。好きなテレビは音楽クイズドキュメンタリーの人間です。

 

V6のイメージは、MFTPとハニビ。KinKiがカウコンで歌ったDarlingに困惑した記憶があります。ハニビはどことなく好きだなあ、という感じ。何故かROCK YOUR SOULを聞いた時に懐かしい感じがしたのはカウコンの記憶があった可能性はある。

 

次にメンバーについて。

井ノ原さん→かんぽさんとメリット先生。

三宅さん→友達との話の流れで顔は知ってた。

以上。

 

以上です。

沼落ち前はカミセントニセンどころかメンバーも認識外でした。

 

なお、今思い返すと、岡田さんはジップロックサランラップ、カミセンの焼き肉のたれのCMが記憶にありました。声がいいという認識をしたことがある。

あと顔は確認してないけど、図書戦実写の時に名前は目にしたはず。

どれも短髪だったことが琴線に触れなかった原因なのではないか。

V6に沼落ちする前に沼ったKinKiでも剛くんとの同棲の話は聞いてたけど、光一さんを20年認識できなかった私が認識しているはずもなかった。

 

 

 

以上のような状態から沼落ちを果たし今の状態になるのは遡ること1年と少し。

YouTubeにワンズコンとセクバニコンがアップされた頃です。

 

TwitterのフォロワーがコンサートのURLをTLに流していました。

ご時世もあって学校が休校になり、暇を持て余していた私は、まずワンズコンのリンクに手を伸ばしました。

 

結果。

ここでは沼落ちしませんでした。Remember your loveと足跡が好き、くらいの感想。

今では結構な頻度で流すくらい好きな公演です。

 

問題は次。見る前からファンの人たちがやばいと言っていたセクバニコンです。

私は襟足の長い男と前髪のある男が好きです。あと黒髪。

 

結果。

岡田准一の顔がいい。

ヨロコビノウタとGUILTYのソロパートのアップ、白衣衣装がぶっ刺さりました。

 

沼に真っ逆さまとまではいかなかったですが、しばらく作業用の動画に選ぶくらいには気に入りました。

 

 

その後、同じフォロワーの影響でヒメアノ~ルを鑑賞。

滅茶滅茶好きだった。

推しに包丁を握ってほしいと常々思っているので、最高でした。

当たり前のようにラストは号泣しました。

 

それから東京タワーに手を出します。

これ。

これが確実に私の背中を後押ししてる。

ビジュはもちろんのこと、声がいいんですよ。

声が。

なに?あれ。殺す気か

今でも小島透を拗らせています。

 

そんなこんなで森田さん岡田さんを何となく推したいなーと思ったところで、6月下旬。たぶんコンサートを見たのは4月末か5月頭。

まだゆるやかに進んでいる感じがしますね。

 

緩やかと言えば緩やかだけど、この期間に某サイトの某タグのお世話になっています。

何となくグループの雰囲気とかメンバーは把握した。

このころのツイートはだいたい美人期の顔が良すぎることだった気がする。

 

そんな感じで時は流れ8月。

It’s my lifeのプロモや夏の大型音楽番組で初めて地上波のV6を見ました。

そっと寄り添う感じの新曲の雰囲気にCDの予約をするか1か月ぼんやりと悩みました。

あと振付をキツネだと思っていた岡田さんが可愛かったですね。

 

キツネを眺めたところでセクバニコンが生活になじんでいた私は別のコンサートにも興味を持ちます。

某フォロワーに聞いたらOMGを勧められたので、次に見るのはそれに決定。

 

が、何故かOMGが手元にやってくる前にVoyagerとVIBESが手元にありました。

この2つはとりあえずOMGの後に取っておいて、OMGの到着を待つこと数日。

到着。

鑑賞。

スパノバの岡田さんで挙動不審になりました。

 

結果、

私は、V6はアイドル集団だった、という結論に行きつきました。

 

同じジャニーズでもKinKi Kidsとは全然違った。めちゃめちゃ近くまで来るし、すごい手を振る。

違いがたくさんあって面白かったのでいずれまとめたいけど、一番思ったのは、人が多い。しかもバリバリに踊るので目が全く追いつかない。

5回くらい見ても誰がどこにいるかまったくわからなかった。

 

あとマルチアングルは神。マルチアングルが好きすぎて、通常盤至上主義になりかけました。

 

そのあと立て続けに残りの2本も見終えた当時のツイートがこちら。

 

「映像を見れば見るほど岡田さんがすきだ……になる」

「私多分V6のオタクにもなる」

「え本当に岡田准一顔が良くない?マルチアングルで単体眺め続けてたら動悸してきた」

 

沼落ちの自覚。

 

直後に恒例のスキャンダルチェックを行って、推せそうだという結論に至り、ここに岡田担が誕生しました。

 

 

以下は自覚直後に多少自我を取り戻したオタクの発言。

「3枚買ったDVDの1枚目で沼に本格的に落ちたと思ってるけど、3枚DVDを買ってる時点で沼に落ちてるとは言わないのか?私の沼はどこから」

 

ちなみにヒメアノ~ルと東京タワー見終わった後に「V6にもお金を出し始めたら笑ってください」ってツイートしてました。

今のお前のメインジャンルの一つだぞ。

 

ここまでで9月の頭です。

この先は、シングルの予約をしたり地上波にのる自担に情緒を狂わされ10月半ばにファンクラブに入り、今に至る、という感じ。

秋にスパノバ地上波とかがあって記憶を盛大に失いました。初見では、PINEAPPLEで床を撫でているところが抜かれたことしか覚えてなかった。

 

岡田さん出演作にも何となく手を出して気狂いツイートを量産しました。

雑誌にも手を出すようになりました。

 

だらだらと沼落ちの経緯を書いてきたけど、こんな感じ。

飽き性の自覚がある私ですが、年単位でハマると逆に長くなりがちなので、まだまだ自担に情緒を握られる生活は続きそうです。

 

沼に落とされた直後の人間らしいツイート発掘したので、それを締めにします。

コンサート比較とか拗らせた作品の話とかもいずれ書きたい。

あとは11月頭に出したい文もある。構想しかしてないので実現するかは謎。

では。

 

「まじで今現在岡田准一に狂ってて他のことは何も手についていない」

「推しに動揺してる時、人生生きててよかったと思う」

 

 

最推しを思い出にできない話

 

 

 

 

初めまして。

気がつけば最推しが引退してから長い時間が経っていたオタクです

 

 

流石にそろそろ自分の思考を整理しようと思い立ち、この文を書くことにしました。

個人名は出さないようにしようと思うので、そんな人がいるんだな、程度の認識で読んでください。

また、VTuberの前世や転生の話が出てくる箇所があります。苦手な方は自衛をお願いします。

思考の流れを残しているので、支離滅裂なところもあるかと思います。あと記憶違いも。

諸々の苦情はあまり受け付けないので、だめそうだと感じたところでこのページを閉じて、全て忘れて素敵なオタクライフへお戻りください。

 

 

では。

 

 

 

 

 

2013年。

ある余興において踊りを披露する事になった友達に付き添って練習を見守っていた時のこと。音源として使われたのは、動画共有サイトにあった合唱動画でした。その中の一人、とても特徴的な歌声を持っていた人に気が付きます。それが私と最推しの出会いでした。

それから、私はそのサイトを巡り彼の動画を見漁りました。その時点で、彼のソロ歌唱動画は最新のもので10ヶ月前のものでした。

 

当時使っていたのが容量のほとんど無いスマートフォンだった為、青い鳥はブラウザから閲覧し、生放送の通知を見逃さないようにしつつ彼の音楽を楽しむこと1半程。すっかり私は某動画共有サイトの住人になっていました。

 

 

 

 

2015年。

新しいスマートフォンを手にして、ある程度自由が聞くようになったこともあり、この年は最推しの参加しているグループのライブに参加してみたいと思っていました。

 

夏。実際にライブの告知が行われました。想定外だったのは、それがそのグループのラストライブになるということでした。

さらに、当時私は一人で遠征が出来るような年齢、状況にありませんでした。

そのため、まあ最推しのラストライブじゃないしな、くらいの気持ちでそのライブへの参戦は諦めました。

 

 

事情が大きく変わったのは、その年の初夏。梅雨のあたりでしょうか。

最推しが重大発表と称して長時間の生放送を行うことを告知したのです。同時にその放送内で弾き語りライブも行うと知り、私の頭の中では重大発表は片隅に追いやられ純粋な楽しみが広がっていました。

今思えば、ネットリテラシーなどもまだまだ低い頃で、当時同じ最推しファンのことは誰一人知らなかったため状況が全くわかっていなかったからこその気持ちだったような気もします。

 

 

生放送当日。

最初の曲、歌詞を飛ばしてしまうほどに最推しは緊張していました。(これも彼がいなくなった後に知ったことですが。彼の緊張している声を聞き分けられないほど、私は最推しのことを知らなかったんですね)

弾き語りライブは本当に、素敵でした。

が、終わりにかけて、流れるコメントが悲しそうなものに変わっていったのを今でも覚えています。当時の私は、その訳には全く気が付かず、不思議な気持ちでした。

 

休憩を挟んで、開口一番、カンペとともに知らされたのは、最推しの引退でした。

それから流れるように、ラストアルバムの告知、非公式ラインの発表が行われました。

おそらく、私はこの瞬間に自分の気持ちに蓋をしました。今でも開けられない蓋を。

画面に流れていく別れを惜しむコメントをぼんやりと見つめ、最推しの言葉も話半分にしか入ってきません。大きな衝撃を受けて悲しいはずなのになぜか涙は出ませんでした。

そのまま、所属グループのラストライブで引退することや、引退に至った理由を、安堵を滲ませた声で話していき、大きな感謝で放送は締めくくられました。

 

 

それから彼の引退に関して覚えているのは、ラストライブの日が終わる直前に最後の呟きが投稿されたこと。それからアルバム発売イベントとして開催されたフィルムコンサートに参加しなかったことくらいです。

このイベントに参加しなかったことで、気持ちのやり場を無くしてしまったような気がします。

 

 

最推しが引退し、1ヶ月。アルバム発売日に聴き込んで以降、動画共有サイトをほとんど覗かなくなりました。端末に残っている音楽と一部の動画は聞きに行っていましたが、同時にゆるゆると推していた人は最推しの引退と同時に2年ほど聞かなくなりました。

 

それからは別の界隈に趣味を見つけ、最推しに関することでしていたのは、彼の誕生日に青い鳥で生誕祭タグを見漁ることくらいでした。

 

 

 

 

2018年。

例年通り私は最推しの誕生日にタグを漁っていました。

一瞬だけ持っていた垢で繋がっていた好きな絵描きのお祝いイラストを、この年もみつけざーっと呟きを見て回りました。

その時です。固有名詞は出ていないのに、一際目を引かれる投稿を目にしました。かなり曖昧ですが、引退してからまる3年、というような意味合いの文面だったような気がします。

それを見て私は、それに添えられていたURLを見なければならない気持ちに駆られ、タップしました。

別の某動画共有サイトに飛んで、動画から流れ出したのは、見たことの無い3Dモデルと忘れるはずのない歌声でした。(その人物のことを以降最推し´と表記します)

強い癖のあった特徴的な歌声からは癖がかなり抜けていたけれど、間違いなく最推しのものでした。(否定派もいるのかもしれないけれど、私はどうしてもそうは思えないのです)

 

本当に嬉しかった。二度と既存のもの以外で声を聞くことは出来ないと思っていたから

 

それから私は最推しのものを思い返すように聞聞き返しました。それと同時に上がる最推し´の動画を見ているうちに思ったことがあります。最推し´の声に綺麗めに、丁寧に作り込まれたような感覚を覚えたのです。特に雑談。

徐々に最推しの声で別人のように語るのに耐えられず、動画を見ることが出来なくなりました。

私は最推しのことも最推し´のことも何も知らないけれど、前世は見て見ぬふりの文化とか、そういったものに順応するのは無理で、それでも再び目の前にやってきた機会は捨てきれなくて歌だけは追うしかありませんでした。

さらに、もうどうにもならないオタクなので、オリジナル曲のタイトルや歌詞に勝手に最推しを見いだし、感じて情緒を殺されていました。

 

 

最近、最推しが歌った曲を歌ったり、時折覗く雑談や歌の中に地声っぽさや、元の癖が見られるように感じました。

それと同時に、最推しと最推し´の境界線が揺らいでいるような気持ちを抱きました。それならいっそ、境界なんて無くなってしまえば歌を中心に追っていた、最推しを見つけた頃とほとんど変わらない状態でまた応援できるのではないか、そういう風にも。

 

 

 

 

そして、先日。

投稿当時にしか聞いていなかった最推し´の動画を開きました。

気がついたのは、活動初期にしてはあまりにも地声っぽいこと。有り体に言えば最推しのままのような歌い方に感じたのです。

しかも、その曲は最推しがリクエストされた当時には分からないと言っていた歌だったと記憶しています。

それに気がついた時、視界が滲みました。

明け方朝5時だったことによる眠気のせい、という可能性はありますが。

 

 

 

 

最推しが引退してから5年と半年ちょっと。

 

最後のイベントに参加しなかったこと、楽しかったと言って泣いた彼を知らないままなことは、今のところ人生で一番後悔していることではあります。

 

それでも、もしかしたら、ようやく私は最推しの引退に向き合って、泣いて悲しむことの出来る日へ、一歩近づけたのかもしれません。