初めまして。
気がつけば最推しが引退してから長い時間が経っていたオタクです。
流石にそろそろ自分の思考を整理しようと思い立ち、この文を書くことにしました。
個人名は出さないようにしようと思うので、そんな人がいるんだな、程度の認識で読んでください。
また、VTuberの前世や転生の話が出てくる箇所があります。苦手な方は自衛をお願いします。
思考の流れを残しているので、支離滅裂なところもあるかと思います。あと記憶違いも。
諸々の苦情はあまり受け付けないので、だめそうだと感じたところでこのページを閉じて、全て忘れて素敵なオタクライフへお戻りください。
では。
2013年。
ある余興において踊りを披露する事になった友達に付き添って練習を見守っていた時のこと。音源として使われたのは、某動画共有サイトにあった合唱動画でした。その中の一人、とても特徴的な歌声を持っていた人に気が付きます。それが私と最推しの出会いでした。
それから、私はそのサイトを巡り彼の動画を見漁りました。その時点で、彼のソロ歌唱動画は最新のもので10ヶ月前のものでした。
当時使っていたのが容量のほとんど無いスマートフォンだった為、青い鳥はブラウザから閲覧し、生放送の通知を見逃さないようにしつつ彼の音楽を楽しむこと1年半程。すっかり私は某動画共有サイトの住人になっていました。
2015年。
新しいスマートフォンを手にして、ある程度自由が聞くようになったこともあり、この年は最推しの参加しているグループのライブに参加してみたいと思っていました。
夏。実際にライブの告知が行われました。想定外だったのは、それがそのグループのラストライブになるということでした。
さらに、当時私は一人で遠征が出来るような年齢、状況にありませんでした。
そのため、まあ最推しのラストライブじゃないしな、くらいの気持ちでそのライブへの参戦は諦めました。
事情が大きく変わったのは、その年の初夏。梅雨のあたりでしょうか。
最推しが重大発表と称して長時間の生放送を行うことを告知したのです。同時にその放送内で弾き語りライブも行うと知り、私の頭の中では重大発表は片隅に追いやられ純粋な楽しみが広がっていました。
今思えば、ネットリテラシーなどもまだまだ低い頃で、当時同じ最推しファンのことは誰一人知らなかったため状況が全くわかっていなかったからこその気持ちだったような気もします。
生放送当日。
最初の曲、歌詞を飛ばしてしまうほどに最推しは緊張していました。(これも彼がいなくなった後に知ったことですが。彼の緊張している声を聞き分けられないほど、私は最推しのことを知らなかったんですね)
弾き語りライブは本当に、素敵でした。
が、終わりにかけて、流れるコメントが悲しそうなものに変わっていったのを今でも覚えています。当時の私は、その訳には全く気が付かず、不思議な気持ちでした。
休憩を挟んで、開口一番、カンペとともに知らされたのは、最推しの引退でした。
それから流れるように、ラストアルバムの告知、非公式ラインの発表が行われました。
おそらく、私はこの瞬間に自分の気持ちに蓋をしました。今でも開けられない蓋を。
画面に流れていく別れを惜しむコメントをぼんやりと見つめ、最推しの言葉も話半分にしか入ってきません。大きな衝撃を受けて悲しいはずなのになぜか涙は出ませんでした。
そのまま、所属グループのラストライブで引退することや、引退に至った理由を、安堵を滲ませた声で話していき、大きな感謝で放送は締めくくられました。
それから彼の引退に関して覚えているのは、ラストライブの日が終わる直前に最後の呟きが投稿されたこと。それからアルバム発売イベントとして開催されたフィルムコンサートに参加しなかったことくらいです。
このイベントに参加しなかったことで、気持ちのやり場を無くしてしまったような気がします。
最推しが引退し、1ヶ月。アルバム発売日に聴き込んで以降、某動画共有サイトをほとんど覗かなくなりました。端末に残っている音楽と一部の動画は聞きに行っていましたが、同時にゆるゆると推していた人は最推しの引退と同時に2年ほど聞かなくなりました。
それからは別の界隈に趣味を見つけ、最推しに関することでしていたのは、彼の誕生日に青い鳥で生誕祭タグを見漁ることくらいでした。
2018年。
例年通り私は最推しの誕生日にタグを漁っていました。
一瞬だけ持っていた垢で繋がっていた好きな絵描きのお祝いイラストを、この年もみつけざーっと呟きを見て回りました。
その時です。固有名詞は出ていないのに、一際目を引かれる投稿を目にしました。かなり曖昧ですが、引退してからまる3年、というような意味合いの文面だったような気がします。
それを見て私は、それに添えられていたURLを見なければならない気持ちに駆られ、タップしました。
別の某動画共有サイトに飛んで、動画から流れ出したのは、見たことの無い3Dモデルと忘れるはずのない歌声でした。(その人物のことを以降最推し´と表記します)
強い癖のあった特徴的な歌声からは癖がかなり抜けていたけれど、間違いなく最推しのものでした。(否定派もいるのかもしれないけれど、私はどうしてもそうは思えないのです)
本当に嬉しかった。二度と既存のもの以外で声を聞くことは出来ないと思っていたから。
それから私は最推しのものを思い返すように聞聞き返しました。それと同時に上がる最推し´の動画を見ているうちに思ったことがあります。最推し´の声に綺麗めに、丁寧に作り込まれたような感覚を覚えたのです。特に雑談。
徐々に最推しの声で別人のように語るのに耐えられず、動画を見ることが出来なくなりました。
私は最推しのことも最推し´のことも何も知らないけれど、前世は見て見ぬふりの文化とか、そういったものに順応するのは無理で、それでも再び目の前にやってきた機会は捨てきれなくて歌だけは追うしかありませんでした。
さらに、もうどうにもならないオタクなので、オリジナル曲のタイトルや歌詞に勝手に最推しを見いだし、感じて情緒を殺されていました。
最近、最推しが歌った曲を歌ったり、時折覗く雑談や歌の中に地声っぽさや、元の癖が見られるように感じました。
それと同時に、最推しと最推し´の境界線が揺らいでいるような気持ちを抱きました。それならいっそ、境界なんて無くなってしまえば歌を中心に追っていた、最推しを見つけた頃とほとんど変わらない状態でまた応援できるのではないか、そういう風にも。
そして、先日。
投稿当時にしか聞いていなかった最推し´の動画を開きました。
気がついたのは、活動初期にしてはあまりにも地声っぽいこと。有り体に言えば最推しのままのような歌い方に感じたのです。
しかも、その曲は最推しがリクエストされた当時には分からないと言っていた歌だったと記憶しています。
それに気がついた時、視界が滲みました。
明け方朝5時だったことによる眠気のせい、という可能性はありますが。
最推しが引退してから5年と半年ちょっと。
最後のイベントに参加しなかったこと、楽しかったと言って泣いた彼を知らないままなことは、今のところ人生で一番後悔していることではあります。
それでも、もしかしたら、ようやく私は最推しの引退に向き合って、泣いて悲しむことの出来る日へ、一歩近づけたのかもしれません。